ウクライナ侵攻ニュースに見る違和感
私は、今回のウクライナ侵攻に対し、ロシアを擁護する気は無い。
だが、しかし!!!!
異様なまでのゼレンスキー大統領をヒーロー視するかのような報道に違和感を覚えずにいられない。
現在もニュースでやっているのだが、ウクライナが「国際司法裁判」に訴えロシアの罪が認められたが、そもそもロシアが安全保障理事会(安保理)の常任理事国であることや、日本の民法のように判決に拘束力はあるが、執行のための実質的な手段がないなど、結局「やったもん勝ち」的になっていることが問題視されているが、こんな分かり切ったことは世論を巻き込むためのプロパガンダの一環だとしか思えない。
ロシアの歴史を見よてみよう。プーチンの性格を少しでも良いので分析してみよう。
「正義か悪か」は置いておいて、そんな「常識的な良心の呵責」がある相手なら、そもそもこんな惨事にならないのだ。
一国の大統領としては、素人でもちょっと考えれば分かることを見落とし過ぎてはなかろうか?
それに、ロシアは侵攻する前からWarning(警告)を出していたはずだ。
日本ではどの程度報道されたが分からないが今年の1月下旬にもアメリカのバイデン大統領からロシアのウクライナ侵攻の可能性についてニュースで報じられていたはずだ。
本当に、この惨劇は避けることが出来なかったのだろうか????
私としてはまず、侵攻が始まった時点からの違和感はゼレンスキー大統領のSNS戦略だ。
そもそも一国の大統領がSNSで軽々しく戦場をリポートすること自体「エンターテインメントの延長上にしか考えてないのだろうか?」とゼレンスキー大統領より若い世代の私でさえ思う。
それにさらに驚いたのは、彼のSNSページへ行くと、病院へ慰問に行く所などいくつもSNS動画がアップされているのだ。
その間、「国を守る」という大義名分の為にどれほどのウクライナ人が愛する家族と引き離され、戦地へ赴かされているのだろうか??
そして、私はゼレンスキー大統領のSNS戦略を「確信的に計画できる余裕がまだあるな」と思わずに居られなかったのが、彼の画角だ。
見られてはまずい場所は、手でカメラを覆ったり持つ角度を変えたりして画角を見ている。
SNSで感情的に訴えていることが「単なる演技」以上に見えないのは、こうした「SNS商法的な計算」なのだ。
そして、もう一つの違和感はウクライナ侵攻が始まって何日か目に在ウクライナ日本人がリモートでインタビューに答えていて「半分以上のウクライナ人がウクライナを出て行った。正確な数字は分かりませんが、「残って戦うつもりだ」と言ってるのは全体の1/3くらいでしょうか」と言うような話が流れていて「あれ?」と違和感を覚えたが、その後私の知る限りでは在ウクライナ日本人のインタビューはテレビで見たことが無い。
ドイツでの「money, money, money」と経済中心政策の非難やアメリカでの「Remenber Paarl Harbor」「9.11」的な典型的な感情を刺激する言葉にプロパガンダを確信せずにいられない。
そして軽々しく「世界第三次大戦になるぞ」と言うような脅しとも取れるセリフを聞いた時点で、今までの違和感も小さなものからかなり大きなものになっている。
ゼレンスキー大統領は、このウクライナ侵攻を彼自身が描いている彼の人生の「シナリオの一つ」と見ているのではないだろうか??
私はこれは「美人局」と同じく、自分からわざと罠を作り、そこにまんまと相手を誘い込み自分は「被害者」を演じている構図に見えてしまうのだが、そういう風に見えるようにメディアが誘導しているのだろうか??
「国を守るため」と言いながら、女性や子供や高齢者といった弱者が路頭に迷い、頼れる旦那や父親は戦地へ行かされるのだ。
どんなに美しい大義名分があったとしても、いつだって戦争で犠牲になるのは首相や大統領自身ではなく戦地へ実際赴く人間であり、国民であり一人一人の誰かの家族なのだ。
戦争をしたいなら、国民を巻き込まず、国のトップ同士で1対1で決着付ければよい。
なんだか最近は「ゼレンスキーVSプーチン」の図が「サイコパスVSサイコパス」の図に見えて、一番同情すべきなのは望んでも居ないのに、ただ巻き込まれて多大な被害を被っている一般市民だ。
望んで闘いたい人間は他に迷惑が掛からない場所で勝手に射ち合いでも斬り合いでも好きにやっていれば良い。
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