オリンピック開会式を見て思うこと。

全く興味なかったのだけど、何気なくテレビをつけていたらオリンピックの開会式が中継されていた。なんとも言えなく切なくなった。最後の方に出てくる団体で選手が居るような大きな国の利権問題なんかどうでもいいけど、あまり名が知られていない、地図でどこかも調べないと分からないような国の選手たちは、ここに来るまでが先進国の選手たちとは違う苦労があるのだ。そういう小さな国の選手たちにとってこの状況下でこんな遠方まで試合に来るということ、ましてやコロナで色々なイレギュラーがある中、先進国なら簡単に解決出来ることも国によっては簡単に解決できず振り回されたことも多かったのではないだろうか。PCRが自国で受けれなかったり、予選にも出れなかったり、最後の段階で日本に来れなかった選手もいるという。オリンピックの政治的な利権ばかりを大々的に面白おかしく標的にして取りあげてばかりいないで、そういう利権の影でいつも以上に苦労を強いられてる小さな国の実情をもっと報道することにこそ、表面的に騒がれていること以上にオリンピックの意義を考えさせられる良い機会なのではないか?と私は思うのだけど。

海外メディアからの仕事がメインだった私にはもちろんオリンピック関連の話もコロナの前から来ていて、水面下で色々と調整を行っていた。

そのすぐ後にコロナがあっという間に国際的問題になり、オリンピックはまさかの延期となり、私自身はコロナやオリンピック延期の間に私がずっとモヤっていたことが形になって見えてきて私の今があって私には良いことがあった。ちなみにオリンピックは前回のリオの段階から私は疑問に思うことが沢山あったが、2019年は奇遇にも私が好きな寒川町との接点だったからその時は「オリンピック頑張ってほしいな」と思えた。今は利権とか肩書とか権力の上に胡坐をかいている人達はスルーで、このオリンピックのために純粋に頑張ってきた選手達、特にニュースにもあまり取り上げられないような小さな国の選手達にこそ、延期された一年間のモヤモヤも含め思う存分実力が発揮できるように頑張ってほしいなと心の底から純粋に思わせられる開会式だった。 だけど実際は試合中にも現場では目に見える、見えない形の色々な忖度が出てくるのだろうなぁと邪推せずにはいられないのだけど。

ちなみに明日はアシスタントちゃんと半分は私のプライベートの用事に付き合ってもらう+仕事の打ち合わせなのだけど、この仕事がまさかオリンピックの延期が転機となって、今に至るのだから人生は不思議だ。