Maison Carlyleへようこそ!
Maison Carlyleの管理人、Marley Carlyleです。
実はこの「Maison Carlyle」と「Marley Carlyle」という名前は本当にまさに突発的に思いつき、このサイトも思いついてからほんの数時間で作ってしまったもの。
私自身、色々なところからブログ、Youtube、InstagramなどとにかくSNSを開設してほしいという要望があったものの、気付けば仕事になってしまってから昔に比べてそういった類にほとんど興味が持てなくなってしまい、遠のいていた。
FacebookやTwitterなどが登場する前は日本のブログ文化がアメリカよりもちょっと早かったように思う。
2000年の頃には日本では「ブロガー」という言葉が定着はしていないにせよ、2002年ころにはブログからベストセラー本が発売され始めたりしていた頃である。
そんな中、私は元々書くこととピアノを弾くことが呼吸をすることと同じくらいの自然な行為だと思って生きてきたので、ライブドアのブログで思っていたことを日記変わりに綴っていたら、たまたま著名人の目に止まりブログを紹介されたことがきっかけで、気が付けばファンが増えたものの炎上騒動にまで発展してしまい、今でこそ「SNSによる誹謗中傷」が社会問題になっているが、当時の私にはかなり応えた一件であった。
そこからブログとは違う今の認識で言う「SNS」というものが登場してきたと思うのだが、私が純粋にSNSを楽しめていた時期は本物のMark ZuckerbergがFacebookを立ち上げ、アメリカのごく一部の大学のみでしか利用できなかった頃だったような気がする。
残念ながら私はHarvard大学出身ではないので、Facebookの第二世代?(Harvardの学生から一部の大学のみに公開され始めた頃だ)だったのだが、その頃は目新しさや新しいコミュニケーションの方法として純粋に面白かったのかもしれない。
さらにFacebookが一般人にも広まってくると、年々「SNS=どうでも良い自慢とどうでも良い情報」の羅列と化していく様に嫌悪感を抱き、長年疲れていた。
特に日本人のSNSにはこの傾向が顕著に表れていると個人的には感じてしまい、SNSにどうしても懐疑的にならざるを得ないのだ。
仕事では「SNS戦略担当」として依頼を受けることも多く、大手企業のSNS戦略も手掛けてきた当の本人が「SNS嫌い」というのもおかしな話だが、「嫌い」だからこそ客観的な戦略が打ち立てられているのかもしれない。
しかし、仕事とは全く関係のない自分自身の意見を発散(発信ではない)出来る場所はあっても良いのかな、と考え本当に偶発的かつ突発的に「Marley Carlyle」というコンセプトを思いついた。
今回、この「Maison Carlyle」を立ち上げるに当たって、今のところ管理人として注意したいのは憧れの「The Carlyle」の世界に少しでも私なりのエスプリで近づけたら良いな、ということくらいである。
My image or qualify of the Carlyle is stylish, sophisticated, sense of humor, gentile, bizarre, and dignity.
At the end of the fabulous movie, "Always at The Carlyle", Mr. Dwight Owsley said something very important that the world is less gentile, the things we lost is sense of dignity. This is exactly how I always have been feeling. His words resolved something in my heart and mind or soul or whatever I have been questioning about.
Dignity is very important to express myself who I am and encourages me to be who I am.
Because I think dignity something comes from purity of your thoughts.
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