プライドを捨てるか、覚悟を決めるか
有難いことにここ数年ではメゾンカーライルに色々な案件のご相談を頂くことになったのだけど、いつも思う。
究極のところ「プライドを取るか、とことん覚悟を決めるか」に行きつくことが多々ある。
少し前は「世界から見た日本はこんなに美しい」とか「日本人の誇り」的な不気味なほど日本を持ち上げる企画や番組がTVなどで流行ったが、それは潜在的にはすでに日本が「衰退」している証であると痛感していた。
色々な多国籍の人種と仕事をして思うのは、日本人は実は「変なプライド」にかなり固執する人種ではないか?ということだ。
今は中国に追い抜かれているのかもしれないが、ルイ・ヴィトンなどの分かりやすいブランドは日本が一番売れる国だそうだ。
それは日本人がそれだけ「ブランド」に弱いということと、「見栄っ張り」であるということの裏返しだと、色々な企業との打合せを通して痛感する。
ビジネスの世界と言うのは当たり前ながら結果ありきの世界で「勝てば官軍」の世界であると思っている。
だからまずは本気で「トップになりたい、売り上げ業界1位を目指したい、大手企業を追い抜きたい!」と思って仕事をしているのなら、つまらないプライドなんか捨てて、地べた這いつくばってでも勝ち取りに行けばいいのだ。
一度でも勝ってしまえば(結果を残せれば)プライドを高く持とうが、強気のブランディングを打ち立てようが、何でも思う存分好きなアイディアを出して次のステップへ進んでやっていけばいいのだ。
それなのに、日本人は「リスクは負いたくないが、大きな結果を残したい」と意味不明な理論を本気で討論しようとする人種なのだ。
だから色々な企業の「言い分」を聞いてみると、ここだけの本音かなりイライラしてきて「そういう事を仰るならまずは結果(売り上げ)を出してからにしてください!」と言いたくなるのをぐっとぐっとこらえて打合せを終わらせることが非常に多い。
「まずはやってみよう!」という気軽さがとにかく無い上に自意識過剰なのだ。
その癖、ちょっと違う意見を述べるだけで、すぐにへそを曲げる。
世界的に見れば日本なんて人口わずか1億数千の小さい島国なのだ。
その人口も減りつつある中で、どんぐりの背比べ的な議論にイライラとしてくることが多い。
その癖プライドだけは高く、最近であればGAFAのマーケティング理論的な成功本などにかじりつき「日本はここが遅れてる」などと机上の空論を繰り広げる。
いや、ちょっと待ってください。
GAFAが生まれた国とは何から何までレベル違いなのに、なぜその理論が日本で通用すると思って飛躍したところへ行きつくのだろう?
それ以前に、何事にも成功するには共通の秘策があって、「当たり前のことを当たり前に続けられるか?」なのだ。
日本人はこの「当たり前のこと」を軽視して、夢と理論だけが飛躍していることが多々ある。
その「当たり前のこと」をかっこ悪いと思っているのか、プライドが邪魔をしているのかは分からない。
だけど世界的に名前が知れている大手企業ならまだしも、日本国内でせいぜいその業界の中でそこそこ有名くらいの中小企業が日本には溢れていて、その中小企業のほとんどが変なプライドだけが妙に高く、どんぐりの背比べに見えてしまうのだ。
例えば簡単な話、宣伝方法としては競合する間柄だろうが、横繋がりで力を倍にして知名度を広めるか、分かりやすくバーター(抱き合わせ)企画で大手の名前に手伝ってもらいながら地道に知名度を広めていくのが結果的にはファン獲得や信頼度を高めるには効果的であることは多々ある。
それなのに「いや、それで大手に先を越されて美味しいところだけ持って行かれたら・・・」「そういうやり方はもう分かっている」「あとで権利の問題になったときにうちが取れないと意味がない」とか、まずは売れても居ない間から勝手にあれこれと妄想を膨らませては何も結論がないまま次回の会議に持ち越されるか、スタート地点と同じ場所に戻って終わる。
(そんなことも交渉できない人間が集まっているから、そのレベルで終わってしまうのだろうけど)
現実には9割方が中小企業単独では大手企業には敵わないのが常なのだ。
それは広告関係の仕事で担当を単独で持ち始めた10年近く前から私は突き付けられた数字を見てハッキリと肌で感じてきたことなのだ。
100%敵わないとは思わないけど、例外を作るにはとにかくリスクを背負う覚悟で全く新しい目線に飛び込んでみるか、捨て身で挑まない限り難しい挑戦なのに「うちにはこれだけ良いものがあるから特別なんじゃないか?」という根拠不明のプライドが見え隠れするのだ。
それは行きつくところ、日本の(特に)大学教育に問題があると思う。
海外の教育のように「Discussion」の場がとにかく無い授業が大半を占めることと、論文を書く際も、まず「Thesis」があり、「Conclusion」にたどり着くまでの「Evidence」を組み立てる、というアメリカでは耳にタコが出来るほど叩き込まれる基礎的な思考組立の教育課程がほとんど見当たらないのだ。
だからまず、日本に帰ってきて驚いたことは自分の意見を述べただけで、日本人は「否定された」とすぐネガティブに捉える人が大半だということだ。
そこできちんと自分の意見を相手に伝える、という次の一手に辿り着く前に「触らぬ神に何とやら・・・」のつもりなのか沈黙で終わってしまうことだ。
以前はやたら「グローバル化」とバカの一つ覚えみたいに日本のあちこちで見られた言葉だが、この壁を超えない限り「グローバル化」したところで生き残っていけるかはまったく別の話なのである。
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